2012/02/06 作成
季節限定の晩柑詰合せセットが熊本・津奈木甘夏生産者の会から届きます。デコポン・ポンカン・伊予柑・ネーブル・はっさく合計5kg。すべて有機農産物です
生産者の熊本・津奈木甘夏生産者は、農薬に頼らないみかん栽培を目指して、1980年代に結成。1992年には農薬・化学肥料不使用の有機栽培を実践し、現在はほとんどの園地で有機認証を取得しています
2~3月にかけては、九州で中晩柑類の種類がいちばん豊富な時期をむかえます。柑橘とひとくちにいっても味・香り・舌触りなどさまざま。料理での使い方、カットなどで、魅せ方も違ってきます。味はどれも濃くてジューシー。有機栽培による柑橘の皮は、マーマレードやお菓子にも使えます
【春みかんセット】 5kg
有機デコポン 2kg:果皮が柔らかく剥きやすい。香りも良く、甘く、種もなく、内皮もそのまま食べられます
有機ポンカン 1kg:香り・コクが強く濃厚な味わい
有機伊予柑 1kg:甘みと酸味のバランスが良くジューシー
有機ネーブル・有機はっさく 合計1kg:強い甘みと香りのよいネーブル。ほろ苦く、さっぱりとした甘みと酸味のはっさく
家族で楽しむのにも、贈り物にもおすすめです。美肌効果や風邪の予防に、お気に入りのみかんを見つける楽しみもあります。柑橘は、風通しのよい場所に置いておけば日持ちもします
【手づくり甘夏マーマレード】 155g
グリーンネット結(熊本)
津奈木甘夏生産者の会の有機甘夏と洗双糖のみで仕上げました。添加物も水も加えず、甘夏が持つペクチンと糖分を加熱することでゼリー状に。果物を砂糖で煮たジャムとは一味違います。さわやかな甘みと酸味、くせのない苦味のバランスは絶妙。甘夏の内袋を丁寧に取り除いてあり、にがみなどもありません。糖度は48%
津奈木甘夏生産者の会(グリーンネット結)
産地の津奈木町は、水俣病で知られる熊本県水俣市の北隣にあります。1960年代、水俣病によって近海漁業が営めなくなった住民たちは、日照に恵まれ水はけの良い斜面を活かした柑橘栽培で、生計を立てるようになりました。水俣病患者とその問題に関心を持つ人々の勉強会の中から1980年代に誕生。農薬や化学肥料に頼らない柑橘栽培を実践。現在、ほとんどの園地で有機認証を取得しています。その後、流通・販売を一貫して行う組織“グリーンネット結”が設立を設立しました
水俣病は生きている
昨年、一部訴訟などで国・熊本県・チッソと和解成立が進むなか「水俣病は解決」したと思われてる方も多いかもしれません。しかし今も、頭痛やめまい、こむら返りなど水俣病の症状に悩んでいる方は多くおられます。なかでも、胎児や子どものときに水銀を摂取、徐々に症状が出てくる胎児性・小児性水俣病の問題も明らかになっています。訴訟も熊本と新潟では継続中。熊本では胎児期に影響を受けた第2世代訴訟が続いています。津奈木甘夏生産者の会の生産者も原告に加わり活動を続けています
私どもの暮らす熊本県葦北郡津奈木町は、天草の島々を望み、不知火海に沈む夕日が美しい地域です。海沿いの段々畑には、黄色く色づいた甘夏やデコポンなどの中晩柑類が、収穫の時を待っています。
今季の柑橘は昨年夏の暑さが長く続き、秋らしい一日の寒暖差が大きい時期が少なく、そのまま冬になりましたので、色づきや熟成が例年より2~3週間は遅れたようです。しかし、採集したみかんの味は良いです。大きな災害もなく今年も柑橘類を収穫できることに感謝しております。
しかし、昨年は、3月の東北地方太平洋沖地震と大津波に始まる東日本大震災・福島原発震災という未曽有の大災害が東日本を襲った年でした。
水俣から東北 (山形) へ支援物資を届ける
私共も、3月中旬、神戸の被災地NGOセンターからの要請を受け、現地での緊急支援物資輸送のため、生産者の2トントラックを山形県米沢市に3ヶ月間貸出し、水俣・津奈木から甘夏等の柑橘類や霧島新燃岳の被災地から届けられた大根などの野菜類や毛布・ストーブなどの支援物資を米沢市体育館に届け、福島各地からの原発事故により避難されている500人余の方々ために物資を配布すると共に、山形から宮城県塩釜、仙台市内、福島県南相馬市などの食料品や支援物資輸送をおこなってきました。
そこで見た被災地の現実は、地震によって倒壊した家屋、津波によって何もなくなってしまった海岸線の街や村々でした。
福島で水俣の悲劇が繰り返されている
その後も福島原発事故による高線量の地域が拡大していく中、56年も前の水俣病の教訓は生かされることなく、そのくり返しが福島で進行しているのが現実でした。飯館村など多くの被曝を受けている現実が村民に伝えられるのは、一ヶ月近くたってから、放射性物質による汚染水は海に垂れ流し続けられ、正確な汚染のデータは今も公表されていません。安全基準は次々と引き上げられ、子供たちへの被曝は益々深刻化しています。
56年前の1956年(※)、水俣では水俣奇病の公式確認後、魚介類が汚染源とわかり、保健所など地元の関係機関は食品衛生法による魚介類の捕獲、流通、販売を規制すべきとの意見が多くありながら、厚生省は1957年9月に「水俣湾産魚介類がすべて有毒化している証明は得られない」としてその適用を見送りました。その1年後には新たな患者が発生。新日本窒素は排水路を北側の水俣川河口に変更し、不知火海全域へと被害は拡大しました。水銀が原因と分かった以降も漁獲規制や販売規制などの有効な対策は取られることなく、被害は拡大していったのです。
※ 1956年5月1日 水俣病発生の公式確認 → 68年9月 水俣病公式認定
水俣の教訓を福島に伝えたい
補償をめぐる問題でも、被害者の声は無視して、「有識者」と称する審査会が勝手に賠償額を決め、さも適正であるかの様な基準を決めています。被害の全容解明も行わず、ただいくらかの金を渡して、補償を打ち切るやり方は、1959年12月、水俣での後の訴訟判決で公序良俗に違反すると断罪された見舞金契約と同じ思想です。原因が分かっても新たな請求は認めないとする考え方は到底容認されるものではありません。まず、おこなわなければないのは、加害責任の検証であり、被害の全容解明の努力です。補償は一時的仮払いとして、被災者の暮らしを維持する「一時金」でなくてはなりません。
もう二度と故郷に戻れない多くの人々を生み出し、数十年先のがんの恐怖と闘わなくてはならない数十万の人々を生み出した現実を直視する必要があると思います。
今後とも、被災者への支援や水俣病の教訓を被災地へ届ける活動に取り組んで行きます。
今年もよろしくお願い致します。
グリーンネット結 代表 谷洋一
2月11日(土)、NPO法人ポラン広場東京主催の対話集会で、津奈木甘夏生産者の会の谷洋一さんの講演が行なわれます
会では、各分野で活動する3名の講師のお話を聞き、地震・津波に加えて原発事故に苦しむ福島の現状や、放射性物質検査分析について理解を深め、今後克服すべき課題について其々の立場から率直な意見交換を行います
詳細は、NPOポラン広場東京 ネットワーキングページ をご覧ください